群馬県民よ。今こそ男を磨く時だ。

2020年12月22日

人は強くなればなるほど、弱くなることについて。

人は強くなるほど、弱くなるのではないかと思ってしまう。
この世で一番強いのは、何もできない赤ん坊である。
赤ん坊が泣けば、周りに入る人間は何かしらのアクションを起こさなければならない。ほっておけない。ほっておくと自分が嫌な目にあることは一目瞭然であるからである。好きな時に泣き、好きな時に笑い、好きな時に寝る。言ってみれば、赤ん坊は全ての上に立っている王様である。
一方で。
この世で一番弱いのは、あらゆる人間から批判を甘んじて受けなければならない、トップに立つ人間ではないだろうか。総理大臣になれば自分よりもはるかに劣っている人間から一方的に攻められ、それに反論することはできない。その意見がどれだけ破綻していようが受け流す以外に術はない。それがトップに立つ人間の使命だから。
ある程度実力が拮抗した相手ならば言葉を交わすことが出来るが、あまりにも格下のいうことは黙って聞き流すしか方法がないのである。

まあ、これは極端な話。
それでも、どんな組織にしても能力が高ければ高いほどに弱い立場。言ってみれば損をする立場に立つことは一つあるのではないかと思ってしまう。
勿論、独裁政治でもすれば、強い立場にいながら、強い人間でいることが出来る。しかし、独裁政治が出来るのはごく一部の才覚に恵まれた人間だけであり、現代に至ってはそれが出来るもの、つまるところの「傑物」は世界中見渡してもそんなにないと思う。
会社にしてもワンマン経営で回せる人なんてほとんどいなく。大概の場合は優秀な手足を何人か持ち。組織を回すことが多くに当てはまるのではないだろうかと思う。

そういった社会において、強くなろうとすることは実は損なことなのではないか。と思ってしまう自分がいる。
格下の人間にはきつい当たりをされるし、自分より弱い奴のしりぬぐいをせねばならない。また期待もされる。
そう考えると、必死に能力を上げることなんて実は無駄なことなんじゃないかと考えてしまう自分がいる。
ただ、これは狭い考え方であり、より深く考えてみれば、強くなれば出来ることが増えるという考え方も出来る。
実の所僕は人が強くなろうとする理由は「自由」にあるのだと思う。
人は強ければ強いほどに出来ることが増えるのだ。
赤ちゃんは力がないので、出来ることは限られているだろうと思う。子供だってある程度のわがままは通るがその弱さゆえに行動は制限される。車には乗れないし、お酒だって飲めない。

しかし、大人になれば、弱い人間に気を使う場面は増えるモノの。出来ることが増え新しい世界に踏み込むことが出来るのだ。そして人は知ることに価値を見出す生き物であり、そこで自分が生きる価値をお乱すことが出来る。
だからこそ、強くなることは自由になることであり、やはり現状を変えるうえで必要な要素なのだと思ったりする。

これは独り言。



Posted by 群馬の鬼 at 01:46│Comments(0)
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